2020年5月1日金曜日

「できる」重ねて

緊急臨時閉庁となり3週間目、不便をお掛けして申し訳ありません。😔
’わかハロ’の閉庁はまだ続きそうです。開庁日が決まりましたら、HP等でお伝えいたしますのでお待ち下さい。

そのような状況から、本日のブログ投稿は遠隔地より行っております。併せてご了承下さい。

 本日は15年前のJR宝塚線脱線事故で負傷し、車いすの生活を送るパラアーチェリー選手、岡崎さんのインタビュー記事からお届けします。
 同志社大2年だった05年4月25日、通学のため快速電車の1両目に乗っていいた。尼崎駅手前のカーブに差しかかったとき、車両右側が「フワッ」と浮いた。車内に響く男女の悲鳴。体が前に飛ばされた。
 岡崎さんも首の骨が折れる重症を負い、首から下に麻痺が残った。
 食事ができるようになるまで回復すると、体が動かないという現実に向き合わねばならなかった。「歩きたい!走りたい!」できなくなったことばかり頭に浮かび、病室で何度も泣いた。「この先どうやって生きていったらいいんだろう」と、不安に押しつぶされそうだった。
 考えを変えるきっかけになったのが、家族の言葉や、愛犬の存在だった。事故前、岡崎さんは投げたディスクを犬がキャッチする「フリスビードック」に明け暮れていた。事故から3ヵ月ほどたった頃、握力のない手から真下に落ちたディスクを、愛犬がくわえてしっぽを振った。もう遊べないと思っていた愛犬と、遊べたと実感できた瞬間だった。「できないことばかりに目を向けず、『できる』を考えればいい」
 事故後1年後に復学、08年に卒業した。
 13年、母の勧めでアーチェリーを始めた。握力が無いため、補助器具を手首に結びつけて射る。50m先の的の真ん中に矢が当たった時の爽快感はたまらないと言う。
 昨年11月にはアスリート雇用で就職。五輪・パラは延期になったが、「粛々と練習して、1年後に備えたい。あれから長い時間が過ぎて、ここまで来られたっていう姿を見せたい」

 最近ハローワークの窓口では、コロナウイルスによる影響で意図せず離職した方々とお会いすることが急増しています。「これから不安。」「どうしたらいいのか・・」など、なかには「もう生きるのしんどくなった」とおっしゃる50代の方もおられました。
 岡崎さんがおっしゃりとおり、「できないことばかりに目を向けず、『できる』を考えればいい」が今日、明日への一歩ではないでしょうか。
 きっと私たち一人一人ができることが社会の中にあるはずです。